<がん闘病記18>経尿道的膀胱腫瘍切除術(TUR-BT)当日

<がん闘病記18>市立総合病院入院2日目・手術当日(2015年3月3日・火)



今日は、マッツァの膀胱がんを内視鏡で手術(経尿道的膀胱腫瘍切除術)をする日です。


≪4時30分≫
マッツァは、トイレに行って排尿しても排便はないことを看護師に伝えると、排便がない場合もあると言われました。
その時は、最悪浣腸することになると・・・・・。
それからマッツァは、排便を促すために頑張ってお茶やお水を飲みました。
起床時間の6時近くになっても排便がなく、
「うんこでない・・・。」
と、排便ばかりが気になったようです。

≪6時25分≫
「うんこでた!!」
無事排便があり安心したようです。

≪7時10分≫
手術前の検温でバイタルサイン(体温と酸素濃度)の測定で看護師が
「8時までに着替えて下さい。」と。

≪7時30分≫
朝食の配膳があったが、マッツァは絶飲食で朝食なし。
―病室に食事のいい匂いがする―
―お腹空いたよ―

≪7時55分≫
手術着に着替え、T字帯(ベルト付きおむつ)を自分で装着。

マッツァの手術は、朝一番。
8時45分に手術室に入室となりますので、シャブランは8時に病院に着きました。

≪8時8分≫
トイレで排尿(尿は少し血が混じったり透明だったりした)。

≪8時23分≫
弾性ストッキングの説明書はあったが、看護師師長補佐に弾性ストッキングを履かせてもらう。
「看護師の上の偉い人、師長補佐さんに履かせてもらったよ。」
マッツァは嬉しそうに話した。
*弾性ストッキングは、エコノミー症候群(ロングフライト血栓症)から身を守るための着圧ソックス。エコノミー症候群とは、長時間下肢を動かさずに同じ姿勢でいると、脚部の奥にある静脈に血の塊ができる場合があり、その一部が血管の中を流れて、心臓を通って肺の血管の中に詰まり(肺血栓症)・呼吸困難・胸痛・失神などの症状が起こること。

≪8時35分≫
手術前の最後の排尿(血液臭あり)。
担当看護師に、手術中は怖くて起きていたくないので寝ていられるようにお願いした。

≪8時40分≫
病室から歩いて2階の手術室へ。
手術室の入口で、本人確認。
帽子をかぶって、めがねをしたまま歩いて手術室の奥へ。
「じゃあな。」←マッツァ
「頑張ってね。行ってらっしゃい。」←シャブランとはここで手を振って別れる。
手術室のスタッフよりシャブランに携帯電話(受信専用)を渡される。
「この携帯電話は、病院内ならどこにいても通じるけど、病院の建物の外へ出ると通じなくなるので、必ず建物の中にいて下さい。電話が鳴ったら、手術室前のベンチでお待ち下さい。」

≪8時50分≫
マッツァのベッドを手術室お迎え用に、布団の上に電気毛布を掛けてまた布団を掛けて、助手さんがセッティング。
布団の上に、手術セット(オムツやタオル)とベッド用点滴棒を乗せて、酸素ボンベをセットして、ベッドを高くして移動させる準備をしていた。

≪9時5分≫
シャブランの叔父夫婦が、お見舞い兼シャブランひとりで手術中に控えていて、不安にならないようにとシャブランの付き添いに隣県から来てくれた。

≪10時15分≫
病院内のレストランに叔父夫婦といる時に、携帯電話が鳴った。
「終わりましたので、手術室の前でお待ち下さい。」
手術室前にシャブランが到着すると、すぐに泌尿器科の医師が出て来て、小さな瓶に入った、内視鏡で切除した膀胱がんの組織(生検材料)が入っている小瓶を3本見せてくれた。
一番たくさんの組織(生検材料)が入っている瓶の写真をスマホで撮らせてもらう。
「この検体は検査に出します。」
と、医師に説明された。

*<病理・細胞診学的検査(病理組織学的検査・細胞診学的検査)とは・・・
病理・細胞診学的検査では、病変部位から採取された生検材料や手術での摘出材料から、腫瘍や炎症などを診断したり、細胞の形態を顕微鏡で観察して病変の有無を判断する検査。>
・〈病理組織学的検査
病理組織学的検査では、胃・大腸の病変部を内視鏡下で採取した生検材料をはじめ、腎臓・肝臓・前立腺などの針生検材料、皮膚疾患の切除材料、手術で摘出した臓器などを薄く切り、スライドガラスにのせて染色し、標本を作製する。病理専門医が標本上の組織像を観察し、腫瘍性か炎症性かなどを判定し、病名を確定診断する検査。〉
・〈細胞診学的検査
細胞診学的検査では、尿・喀痰・胸水・腹水・胆汁・乳汁や婦人科で採取した細胞をスライドガラスに塗抹して染色し、標本を作製する。細胞検査士という専門の資格を持った技師が標本上の細胞を観察し、がん細胞または病変のある細胞を探し出す。細胞検査士が見つけた細胞等については、細胞診専門医が最終判定する検査。〉

手術室の入口をはいって、まだ麻酔でボーとしているマッツァに会ったが、シャブランが判かっているようで声を掛けたら返事があった。
「お疲れ様。無事に終わったよ。」←シャブラン
「そうか。」←マッツァ
病棟から迎えに来た看護師と共に手術室を出るが、まだウトウトしている感じ。
マッツァはベッドに寝たまま、マスクで3Lの酸素を吸引して病室に戻る。
シャブランは手術室の出口で、マッツァの主治医から手術の状況の簡単な説明があり、
「ちょっと深いようだな。Tは越えてる感じかな。」
と言われ、ショックで一瞬固まってしまったが、
「そうですか。ありがとうございました。」
と、シャブランはどうにか返事ができた。
Tを越えている、つまり浸潤がんの可能性が大きいということでしょう。
シャブランは体が震えましたけど、叔父夫婦がいてくれたので、すぐに落ち着くことができました。
覚悟はしていたとはいえ、やはり浸潤がんはショックです。
膀胱の筋肉に浸潤しているということは、がんが血流に乗っている可能性があるのです。
つまり、転移の可能性があるということです。

≪10時25分≫
ベッドに寝たまま病室に戻り、酸素マスクは3Lで継続していた。
電気毛布は外してあり、翌日の朝にベッドから起きて歩けるようになるまで、手術着のままでいるということの説明があった。

≪10時47分≫
点滴をソルアセド下輸液500ml(酢酸リンゲル液)からラクテック注500ml(止血剤入り)に交換。
「足折りたたんでる感じがするんだけど伸ばしてる?」
下肢は大腿を含めすべて感覚なし(触っているのも判らない)。
「口の中がガビガビになっている。」
口の中が渇わいていると言うので看護師に確認すると、13時30分から水分を飲めるようになるので、それまで我慢するようにと説明された。
シャブランがハンカチを濡らして、マッツァの唇を時々濡らしていた。
「少し渇きが軽くなったよ。」

≪11時20分≫
尿道留置カテーテルを看護師が繋いだ後、バック(袋)の底をロックしていなくて床に漏れてベッドの下に大きな水たまりができた。
膀胱の中に抗がん剤が入っていたはずだが、漏れていたので大丈夫かを看護師に確認したら、
「大丈夫ですよ。」
と確認もせずに簡単に言われたが、きちんと膀胱の中に入っている抗がん剤が効くのか不安になった。

≪12時30分≫
尿道留置カテーテルに生食1000mlを繋ぎ、膀胱の洗浄開始(膀胱灌流)。
主治医がベッドサイドに様子を見に来てくれた。
「体調はどうですか。」
「体が熱いです。」←マッツァ
掛け布団を2枚から1枚にしてくれた。
シャブランの叔父夫婦のお見舞い終了し隣県へ帰宅。

≪13時20分≫
「足が妙に軽いんだけど、軽く上がるよ。」
マッツァは、自分の両足を動かせるようになった。
「団扇がほしいな。明日家から持ってきてくれ。」
マッツァの体がまだ熱く、シャブランが掛け布団の足元を捲り、少し体に風を扇ぐ。
「腹が熱い。熱いような痛いような感じがする。」

看護師が術後3時間が過ぎたので、酸素3Lを終了しマスクを外してくれた。
酸素マスクを外しても呼吸困難はないが、体がまだ少し熱いと。
体温37.0℃
「下腹部がなんか熱い。痛いよりなんかポーっとあったかい。それに体全体が風邪ひいたみたいに熱い。」

≪13時50分≫
掛け布団をバスタオルに交換する。
「この位のが気持ちいい。」
体が熱いのは変わらない。

≪13時30分≫
術後初めての水分をむせずに飲めた。
「美味しい。やっとほっとできたよ。」
寝たままペットボトルの水を、ストローで上手に飲めた(入院する前にストローを準備するようにとの説明があった)。

≪14時5分≫
「まだ足先はしびれている。正座したときみたいだ。」
下肢や足先は問題なく動くが、びりびりしたしびれが残っていると。
「アイスクリームは食べたらだめなんだよな。」
先ほどからアイスクリームの話ばかりを繰り返していて、よっぽどアイスクリームを食べたいんだなと思うが、明日の朝まで口から物を食べることはできないと、前もって説明されていたために、マッツァも話はするが食べることは諦めていた。
「明日はアイスクリームを買ってきてくれ。」
アイス・アイス・アイス、本当に食べたいんだね・・・・・。

≪14時35分≫
「(右に)寝返りすると少し楽だな。」
術後、初めて寝返りをする。

≪15時≫
「足のしびれがだいぶ取れたな。」
ラクテック注500ml(止血剤入り)を、ソルデム3A維持液500ml(86Kcal)に点滴交換。

≪15時25分≫
「おちんちんの先が痛くなってきた。麻酔が切れてきたのかな。足も随分動くし。」
先端痛が出てきたので麻酔が切れてきたようだと。
「ここが少し痛い。」
点滴の針を指している所が痛いと訴えるが、腫れや発赤は見られないため、そのまま様子を見るように説明される。

≪15時40分≫
「トイレに行きたくなってきた。」
排尿したい感じがすると。

≪16時≫
尿道留置カテーテルのバック(袋)内の尿量は1500ml(薄赤く血性)。

≪16時20分≫
主治医がカーテン開けてベッドを覗いて、
「色、大丈夫だねとの覗いてすぐ出て行った(入らなかった)。」

≪16時35分≫
セフィチアム塩酸塩点滴静注用1gバッグ(100ml)の抗生剤の点滴開始。

≪16時40分≫
尿道留置カテーテルのバッグ内の尿量は1600ml。
医師が来室するとマッツァが、
「おちんちんの先が痛い。」
と、先端痛を訴えると、
「手術の時に、この位の太い管を入れるから。大丈夫ですよ。」
と、痛い部分を確認(診察)せずに、当たり前のように言われた。

≪16時45分≫
夜勤の看護師に交代し、挨拶に来た。

≪16時55分≫
抗生剤の点滴が終了したと看護師に報告。

≪17時10分≫
抗生剤の点滴を取り外す。
「圧の関係で、途中で止まるようになってるんですよ。」
点滴台の高さで圧力が生じていて、自然に止まるようになっているため、すぐに外さなくても大丈夫だと説明される。

≪17時25分≫
「ゴロンゴロンと向きを変えるとゴミが出るかも。」
ベッド上で反対側に寝返りを打つと、血が付いた粕(浮遊物)がたくさん浮いた尿が流れ出てくる(薄いピンク色)。

≪18時≫
尿は薄い黄色に戻る(浮遊物は見えない)。

≪18時35分≫
シャブランの従弟が、仕事帰りにお見舞いに顔を出してくれた。

≪19時≫
「おちんちんの先が痛いんだよ。」
先端痛の訴えが強く、痛み止めのロキソプロフェン(ロキソニン)60mgを1錠、寝たままペットボトルの水で内服する。
シャブランは自宅に戻る。

≪20時30分≫
「眠れない。」
眠り薬を請求するが、
「21時まで待って下さい。」
看護師に21時まで待つように言われた。

≪21時≫
痛み止めを内服したため、先端痛が軽減したがまだ痛みが残っていて、看護師が見てくれると、尿道留置カテーテルの管をテープで固定していなかったため、体の向きを変えるたびに引っ張られていて、痛みが発生していたことがわかった。
看護師が、尿道留置カテーテルの管をテープで体に固定してくれたので、安心して就寝できる。
眠り薬のブロチゾラムOD錠(レンドルミン)0.25mgを1錠を貰い内服し就寝。
電気を消して消灯してもらった。



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<がん闘病記17>経尿道的膀胱腫瘍切除術(TUR-BT)目的で入院・確定申告

<がん闘病記17>市立総合病院入院1日目・確定申告(2015年3月2日・月)



今日はマッツァの、経尿道的膀胱腫瘍切除術(TUR-BT)の手術目的で入院になります。


昨夜は、シャブランもマッツァも緊張してほとんど眠れませんでした。
二人とも朝5時前には起床し、マッツァは緊張した表情をしていました。

朝食にはおにぎりを食べて、二人でリュックを背負って、お互いにソフトキャリーを引っ張りながら駅まで歩きました。
入院の当日は、朝に入院しても夕方までいろいろ用事があるようですので、乗用車だと駐車料金がかかりますので、時間を気にしなくてよい電車で行きました。


≪税務署で確定申告≫
市立総合病院は、自宅の最寄り駅より2駅向こうの駅から歩いて約10分くらいです。
でも、朝一に税務署に行かなければなりません。
税務署も病院と同じ駅から歩いて10分です。
税務署は8時30分から開くため、慎重なマッツァは8時前から正面玄関で待っていました。

予定通り、8時30分に確定申告を提出して印を貰いました。
今度は税務署から病院まで、またソフトキャリーをゴロゴロ引いて10分歩きました。


≪市立総合病院に入院≫
病院には8時40分には到着しました。
でもまだずいぶん早いので、病院内のカフェでスープを飲みながらひとやすみ・・・。

9時10分に、入院受付へ行き手続きをして、受付前のベンチに座って病棟からのお迎えを待ちました。
もう一人の入院患者さんとその家族と共に病棟へ。
そのまま病棟内をぐるりと案内され、ナースステーションのすぐ前の4人部屋に案内されました。
マッツァのベッドは、入口入ってすぐ左の廊下側。
手術を受けるので、すぐ看護師さんが走って来られる酸素や吸引の器具を取り付けてある場所で場所でした。

そのまま待つように言われたのですが、マッツァが疲れた様子だったので、先にパジャマに着替えてベッドに横になって待つことにしました。
シャブランは持ってきた荷物を整理して、ベッドサイドでマッツァと共に本を読んで待ちました。

≪麻酔科の医師の来室≫
11時頃から10分位、麻酔科の医師がベッドサイドに来る。
手術時の麻酔についての説明と同意のサイン(控えあり)。
・明日3月3日の8時45分からの朝一番の手術になる。
・歩いて手術室へ行き、ベッドで病室に戻る。
・麻酔は脊髄のくも膜下にする下半身麻酔と、膀胱の両側にある閉鎖神経ブロック。
・希望があればウトウトできる(←マッツァは手術中寝ていたいと希望しました)。
・現在は(血液検査での)甲状腺の値が高め(←甲状腺機能亢進の既往歴があることを伝える)。
・13~14歳の時に十二指腸潰瘍の既往歴あり。
・アレルギーは花粉症だけで、喘息の既往歴はない。
・手術前日の今日は、22時まで食事できる。
・手術当日の明日の6時までは飲水できるが、それからは絶飲食になる。
・明日8時45分に、歩いて手術室に入室する。
・入室後は、点滴を穿刺→下半身麻酔→閉鎖神経ブロックの順に行われる。
・手術時間は1時間かからない(トータル2時間位)。
麻酔科の医師から説明があり、同意書にサインし控えを受け取る。

≪泌尿器科・担当看護師≫
・診療について(入院診療計画書)の説明と同意のサイン(控えあり)。
・経尿道的膀胱腫瘍切除術(BUR-BT)のクリニカルパスの説明と同意のサイン(控えあり)。
  *クリニカルパスは、入院中の治療・検査の標準的な経過を説明するための「入院診療計画表」。
病名ごとに治療内容や検査内容を時系列でわかりやすく表示されている。
・身長と体重測定とバイタルサイン測定(体温・血圧・脈拍)
・明日の手術の物品(バスタオル1枚と、売店で購入したベルト付きおむつと平おむつ2枚セット)の確認と全てをビニール袋に入れてベッドサイドに置く。
・術後の食事は、翌日3月4日の朝食のお粥から開始。

≪12時に昼食≫
・常食2000kcal(ごはん210g)完食。
   きつねうどん
   茶碗蒸し風
   揚げ茄子(冷)
   葛まんじゅう
・箸と湯のみ(お茶入り)はお盆にセットされている。
・食後に売店であずきバーを購入して食べる。

≪医師の手術についての説明≫
病棟の別室に移動して説明を受ける。
・外来で膀胱鏡で診察した内容の確認
・手術について(手術説明書)の説明と同意のサイン(控えあり)。
・術後1時間抗がん剤を膀胱に入れてくること(がん薬物療法についての説明)の説明と同意のサイン(控えあり)。

≪薬剤師の来室≫
・本日21時にセンノシド12mg(2錠)を寝る前に内服(←下剤)。
・手術の翌日3月4日から1日3回食後にパンスポリンT錠200mgが内服開始となる(←抗生物質)。
・食事ができない間は、点滴で水分補給される。
・点滴には抗生物質と出血を抑える薬が入っている。
・抗生物質には、湿疹などのアレルギー症状の副作用が出る可能性がある。

日勤の看護師が明日の手術の準備の最終確認をしてから、手術前の入浴の予約方法(ナースステーションの前のカウンターで予約表に記入)の説明をしてくれたので、19時から30分間の入浴の予約をしました。
そして夜勤の看護師に交代となり、夜勤の看護師が挨拶に来ました。

≪主治医(担当医)の来室≫
「明日、頑張りましょう。」と医師。
「宜しくお願いします。」とマッツァ。

≪18時に夕食≫
   魚の西京焼き
   おきな和え
   ゆかり和え
   果物

≪夜勤の看護師の検温≫
18時30分にバイタルサイン測定。

シャワー浴の前にシャブランは帰宅しました。

≪シャワー浴≫
19時から30分のシャワー浴(足拭きマットは各自用意)。

マッツァの病室は、マッツァ以外の患者さんは介護が必要な方ばかりで、19時30分には消灯してしまいました。
そのために、マッツァはパソコンライトで過ごしていたら、看護師がまだ消灯しなくて大丈夫だと再び点灯してくれたそうです。

≪センノシド12mg(2錠)≫
20時45分に下剤のセンノシドを内服。

≪就寝≫
21時30分頃、消灯し就寝。



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<がん闘病記16>入院前日・「がん闘病記」について(シャブランの言い訳)

<がん闘病記16>入院前日・「がん闘病記」について(シャブランの言い訳)(2015年3月1日・日)



入院前日です。


毎月週末が1日になる日には、丸亀うどんの釜揚げうどんを食べに行っているのですが、さすがのマッツァも入院の前日で緊張しているため、
「今日は行かない。家にあるもので(食事を)済ませるから。」
と、1日静かに自宅で過ごしました。

それでも、午前中に確定申告の作成は終了していたので、ほっとした表情をしていました。


明日の入院のために病院に持っていく身のまわり品は、準備OKです。
今夜はゆっくりと休みます・・・・・。



≪「がん闘病記」について(シャブランの言い訳)≫
このブログは、「シャブランとマッツァの『マッツァの膀胱がん闘病記』」です。
更新日が遅れていますが、実際に二人の記録として残しておくためにブログをアップしています。
内容はずいぶん遅れて更新しておりますのでご了承くださいませ。
日付を間違えやすいのですが、ブログの内容の最初に記載してある日が実際の日に当たります。

シャブランは、ブログ更新が随分遅れてしまったので、「がん闘病記」のブログは途中終了しようかなと思っていたのですが、調べてみると

『膀胱がん』『がん』『闘病記』『ショック』『突然』『出血』『不安』『痛み』

など、たくさんの方が検索して訪問してくださっているようで、本当にびっくりしました。
世間には、同じように「がん」という病気を宣告されて、ショックと不安で検索される方が本当に、本当にたくさん、たくさん、たくさんいるんだなと改めて思いました。

諦めることはいつでもできると思います。
でも、前を向いて頑張ることも時には大切だと感じています。
マッツァもシャブランも諦めてはいませんよ。
現在は、マッツァの希望で大阪の大学病院で治療しております(また順にがん闘病記としてアップしていきます)。
でも頑張ってばかりいると疲れてしまいますので、ほどほどに頑張っております。
マッツァとシャブランの長い人生(とはいってもマッツァでも60年にあと数年、シャブランがやっと50年と少しです)、命と向き合いながら、少しでもお互いに大切に過ごしたいと思っております。

考え方や感じ方は、人それそれだと思っております。
なので、治療方法や治療方針、そして治療しないなど(シャブランとマッツァには考えられませんけど・・)色々あると思います。
でもこのブログが、マッツァと同じくがんと診断されショックを受けている方に、少しでも思いや考え方・感じ方の指針のひとつになれば幸いです。

更新はとてもゆっくりのんびりしておりますが、マッツァの闘病生活も今はのんびりしておりますので、これからは少しスピードアップして更新できれば(希望・目標?)・・・と思っています。
これからもどうぞ宜しくお願い致します・・・・・ペコリ。



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<がん闘病記15>入院の準備と確定申告

<がん闘病記15>入院の準備と確定申告(2015年2月28日・土)



入院まであと2日です。


入院の準備は、少しずつしてきたので、慌てることはありませんし、パンフレットを頂いていたので、それに沿って準備をしました。

それに今回入院するのは、自宅から車で10分の市立総合病院ですので、必要なものはすぐに取りに帰れます。
それでもいろいろ荷物は多くなってしまい、旅行の時に使うキャリーケース2個分になりました。


パジャマは、自宅にあるものを使います。
ガウンは結婚した時のものなので、30年近く前の古いものですが、あまり使わなかったのでそのまま使えそうです。


マッツァのパソコンや手帳など、マッツァにとって重要なものは、自分のリュックに入れて持っていきます。
入院中にそのリュックが無くなると困ると言って、海外旅行で使うチェーンのようなものでリュックを繋いでおくそうです。
とても慎重なマッツァらしい準備だと思いました。

それにマッツァにとって、本はなくてはならないものです。
入院中に読む本を持って行くのですが、後で追加で持ってきて欲しいと言われても、シャブランにはマッツァの本棚はわかりません・・・・・。
前もって予測を立てて、持ってきて欲しくなりそうな本は一ヶ所にまとめてもらっておきました。


手術に必要なパット類は、前もって教えてもらってあったので、病院の売店で購入して用意してあります。
病院内のスリッパは、100円ショップで購入してあるし、タオル類は充分にあるし・・・。
準備はOK!です。


ただ・・・、まだマッツァはパソコンと格闘中です。

入院中に、確定申告の締め切りが来てしまいます。
手術直前まで仕事に行っていたので、確定申告ができていなかったのです。

どうやら確定申告の提出は、入院当日の朝一になるようです。
つまり、入院のために病院へ行く前に、税務署によって確定申告を提出しなければならないのです。
インターネットでもできるようですが、申し訳ないのですが、シャブランにはまったくわかりません・・・。


ファイト!!マッツァ!!
シャブランは心の中で旗を振ります。

入院の準備は完ぺき(と思ってます・・)ですよ!!



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<がん闘病記14>マッツァの兄夫婦の心遣い

<がん闘病記14>マッツァの兄夫婦の心遣い(2015年2月27日・金)



先日、検査結果が正式に出た後に、
「手術中になにが起こるか分からないから、前もって兄貴には言っておかなきゃいかんな。」
とマッツァは、電話でマッツァ兄に癌であることを知らせました。


マッツァはマッツァ兄と二人兄弟で、80代後半のマッツァ母が田舎で一人で生活しています。
マッツァ父親は肝臓がんで随分前に亡くなっています。


いつも思うのですが、男兄弟は電話で話す時も坦々としているように感じます。
今回は特に事実だけを報告していたので、よりあっさりと感じました。


でもやはりマッツァ兄は随分心配してくれて、マッツァ兄嫁も体にいいものをと気を利かせて色々送ってくれました。
そしてマッツァ本人だけでなく、一緒にいるシャブランのことも心配してくれていました。
その思いがとても嬉しかったです。


ただマッツァとマッツァ兄の話し合いで、マッツァ母には癌であることを話さないことになったようです。
このまま知らせないで、マッツァの膀胱がんが寛解すればいいのですが・・・。
多分癌とは長い付き合いになりそうですので、マッツァ兄やマッツァ兄嫁に協力してもらうことになるでしょう。

マッツァ兄やマッツァ兄嫁にはお世話になりますが、宜しくお願い致します。


もうすぐ手術のために入院になります。

シャブランは、マッツァがいつもどおりに家に帰ってくるように、無事に手術が終了してくれることを願って、入院の準備をします。



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<がん闘病記13>仕事の不安

<がん闘病記13>仕事の不安(2015年2月26日・木)



マッツァは会社の経営状況悪化(東日本大震災の影響大)のため、50代半ば過ぎで早期定年退職をしました。
シャブランとマッツァには子どもがいないし、自己所有のマンションもあるので、どうにかなると思っていました。
退職後は社宅を出て、東京郊外(というか僻地です)の自宅マンションにリフォームしてから戻りました。


その後は失業保険と生活費の見直しをしながら、マッツァがフリーランスのSE(システムエンジニア)・コンピュータープログラマーとして短期の仕事を請け負う自営業として生活していました。


2月1日に最初に膀胱がんから出血した時には既に仕事を請け負っていて、休むことはとても難しい状態でした。
でも、体が一番です。
仕事先に無理を言いながら、仕事を続けていました。

しかし、夜仕事から戻ると、
「仕事先の人は、やめて欲しそうな感じがする。」
と、今後の仕事に対して不安を表出しました。
「この仕事を辞めると、次の仕事(を見つけるの)は難しそうだな。癌だということを話さなければならないし、隠すことはできないしな。」
今後の仕事を請け負うことができるのか、続けて行けるのかと不安を話しました。
フリーランスで仕事をするということの辛いところです。

仕事の契約は3月末まであります。
出来る限り続けて行けると良いなって思っています。


仕事から戻った時のマッツァの尿は、相変わらず薄くなったり血が混じったりしています。
マッツァがトイレから出てきた後は、すこし血の臭いがします。
洗濯時にも下着から血液の付着や血液臭がしますので、ピューラックスで滅菌・漂白をしてから洗濯をしています。

排尿痛に関しては、鎮痛剤の内服をすることで、自制(自己制御)できているようです。


不安を抱えながらの毎日の生活はストレスがかかり、より体に負担となります。
責任感の強いマッツァは、請け負った仕事は最後までしなければと思っているようですし、今後の生活(費)も気になっているようです。

でも安心してストレスなく過ごせることが大切だと思っていますので、安楽な日々が来てくれることを願っています。



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<5日目②>ミュンヘンのBMW博物館

<5日目②/3>ヨーロッパ周遊レンタカーの旅30日間・ホーチミン経由(2014年6月10日・火)=ドイツ=
≪欧州4日目②≫ガルミッシュパルテンキルヘン近郊(ドイツ)レモルース(オーストリア)泊(1泊目)


<5日目①>・・・・・からの続き


ミュンヘン最後の観光は、マッツァg待望のBMW本社とBMW博物館です。

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ミュンヘンの町の中心を出ると、1972年に開催されたミュンヘン・オリンピックの開催後に、スポーツ施設やイベント会場となっているオリンピック公園が見えてきます。
ミュンヘン・オリンピックで有名なのは、ミュンヘン・オリンピック事件(黒い九月事件)で、パレスチナ武装組織がイスラエルのアスリート11名をミュンヘン・オリンピック開催中に、イスラエル選手団宿舎に侵入して殺害したテロ事件です。
でもシャブランとしては、ミュンヘン・オリンピックで、スウェーデンのカール16世グスタフ国王の担当コンパニオンだった女性が見染められて、一般人からスウェーデン王妃になったシルヴィア王妃が印象的でした。
オリンピック公園に近づくと、ドイツで一番高い290mのオリンピック公園にあるテレビ塔が見えてきます。

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オリンピック公園の目の前にあるのが、BMWの本社です。
この建物は4本の筒型の独特の形をしていて、車のシリンダーの形をしているので通称4気筒ビルと呼ばれています。

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駐車場の入口に迷いましたがどうにか車を駐車場に停めると、最初に出てくるところがBMWヴェルトでした。

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そのまま歩いてすぐ隣にあるお椀のような形の建物へ行き、これがBMW博物館です。

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博物館の写真は、順に掲載します(シャブランは車はわかりません)。

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博物館から連絡ブリッジでつながれた向かい側にBMWヴェルトがあり、ここはBMWの最先端テクノロジーを終結した巨大ショールームで、顧客への納車上でもある場所です。
博物館は入場料がかかりますが、BMWヴェルトは入場無料です。

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ショップやレストランもあり、いくつかの展示してある車に乗車することができました。
こんな機会はもうないだろうと、マッツァはいくつか乗車体験して、とても楽しそうでした。

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とても広くて疲れましたが、マッツァ待望のBMW本社の博物館とBMWヴェルト、大満足です。

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BMW本社を出てミュンヘンの町を出る途中、 ベンツのビルとショールームがありました。

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ベンツ博物館は、後日シュトゥットガルトで行きましたので、また改めてアップします。


<5日目③>・・・・・へ続く



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<5日目①>ミュンヘン旧市街散策と車でぐるっとミュンヘン観光.ニンフェンブルク城

<5日目①/3>ヨーロッパ周遊レンタカーの旅30日間・ホーチミン経由(2014年6月10日・火)=ドイツ=
≪欧州4日目①≫ガルミッシュパルテンキルヘン近郊(ドイツ)レモルース(オーストリア)泊(1泊目)



ミュンヘン(ドイツ)泊・朝
Hotel Wasserburg(ホテル ヴァッサーブルク)

ホテル ヴァッサーブルクの宿泊料金に朝食が付いていてよかったです。

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朝、ホテルで朝食を食べて出発です。

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マクシミリアン通り突き当たりのバイエルン州立歌劇場前の広場地下にある駐車場に車を停め、レジデンツ通りを歩いて昨夜のマリーエン広場へ行きました。
途中ソーセージ屋さんがあり、とても美味しそうなソーセージ(ブルスト)がたくさん売っていました。

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ぶらぶらとウィンドショッピングをしたりして散策していると、グロッケンシュピールの動く時間近くになりました。
それまでシャブランとマッツァは、グロッケンシュピールの目の前にあるカフェでお茶を飲みながら時間を待ちました。

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すると続々と観光客が来て、マリーエン広場は人でいっぱい!!

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懐かしいグロッケンシュピールを楽しみました。
2段になっているのですが、昔は壊れていたりして動かなかったりしていたのですが、今回はしっかりと動きました。

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その後は、マリーエン広場からノイハウザー通りを散策しました。

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ノイハウザー通りから少し北に入って、ミュンヘンで一番高い塔のある聖フラウエン教会へ立ち寄りました。

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内部はとてもシンプルでしたが、落ち着ける教会でした。

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聖フラウエン教会からマリーエン広場を横切って、13世紀の起源になるミュンヘンで一番古い教区教会であるペーター教会へ行きましたが、マッツァ曰く「涼しくていいな」だそうです。

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92mの塔にも登れるようですが、昇りと下りが同じ狭い階段を294段も歩いて登らなければならないのであきらめました。

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ヴィクトリアーリエン広場を散策し、シャブランはブルーベリーを購入しましたが、とても美味しかったです。

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ヴィクトリアーリエン広場は野外市場になっており、焼きソーセージや搾りたてジュースなども売っていて、木陰でセルフサービスのビールを飲んでいる人もたくさんいました。

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ここの中央には、バイエルンのシンボルであるマイバウム(5月柱:英マイポール)が立っていました。

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この近くの聖ピーター教会下にお店が並んでいて、たくさんのソーセージを始めお肉屋さんが固まってありました。

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旧市庁舎のわきを通って、再びマリーエン広場に出て、歩行者天国になっているレジデンツ通りを通って駐車場に戻りました。
駐車場の上の広場には、とても素晴らしいレジデンツとバイエルン州立歌劇場があったのですが、今回は見ただけで我慢です。

その代わり、マクシミリアノイム(州議会)、ドイツ博物館正面、オベリスク、ネプチューンの噴水、ミュンヘン中央駅、アルテ・ピナコテークやノイエ・ピナコテークやモダン・ピナコテークなどの美術館・博物館群などをマッツァが車でぐるっとまわってくれましたので、ミュンヘン市内の車窓観光ができました。

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その後、ミュンヘン郊外のニンフェンブルク城へ行きました。

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ミュンヘンの旧市街の駐車場の上にあったレジデンツは、バイエルン王家であるヴィッテルスバッハ本宮殿でしたが、ここニンフェンブルク城は夏の離宮です。

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17~19世紀半ばまで造営された、戦争でも壊れなかった優美な「妖精の城」です。

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運河の後ろに広がっているお城は左右対称で、内部はロココ様式でできていて、ル―ドヴィヒ2世の誕生の間や、ル―ドヴィヒ1世の愛した36人の美女の肖像画が並ぶ美人がギャラリーは素晴らしいです。

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背後の広大な庭園には、狩猟用の小さいお城アマリエンブルクもあります。
シャブランは、昔何度も入って見学したことがありますが、マッツァは初めてです。
見学をすすめたのですが、でも入りませんでした。
写真だけ取って、出発!!
これでミュンヘンの市内観光は終わりました。

マッツァにとってこれからが本番の、BMW本社にある博物館へ行きます。


<5日目②>・・・・・へ続く



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<4日目③>ミュンヘン旧市街散策.マリーエンプラッツと新市庁舎.ホ―フブロイハウス

<4日目③/3>ヨーロッパ周遊レンタカーの旅30日間・ホーチミン経由(2014年6月9日・月)=ドイツ=
≪欧州3日目③≫ミュンヘン(ドイツ)泊



<4日目②>・・・・・からの続き


ヴァッサーブルクホテルへチェックンして部屋に荷物を置くと、またすぐに旧市街へ出かけました。
夕食にビールを飲む予定なので、車をホテルにおいて電車で行きます。


ホテルからグロンスドルフ駅(Gronsdorf:Sバーン)まで住宅地を抜けて7~8分でした。
家々の庭には、たくさんのバラが咲いているなど、歩いていても楽しめました。

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グロンスドルフ駅は、近郊電車のSバーンの駅で、地上より高い所にある駅でした。

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ドイツでは普通に自転車も電車に乗せますので、エレベーターで自転車を持った人もホームに上がってきていました。
ホームに切符の自動販売機があり、英語表示に切り替えできたので、問題なく切符が買えました。

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グロンスドルフ駅から、目的地であるマリーエンプラッツ駅までは、途中オスト(東)駅を通過して乗り換えなしの7駅でしたので、近くて便利でした。

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マリーエンプラッツ駅について階段を上ると、そこはミュンヘン旧市街の中心地マリーエン広場(プラッツ)でした。
目に入ってきたのは、とても荘厳で、1867年~1909年に建てられたネオゴシック様式のミュンヘンの新市庁舎です。
新市庁舎は黒く汚れていますが、昔より少しだけきれいに感じましたが、高さ85mの塔は見事です。

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マリーエン広場にある新市庁舎は、ドイツ最大のグロッケンシュピール(仕掛け時計)があることが有名で、広場にいる観光客のほとんどが上を見上げています。
このグロッケンシュピールは、10分間32体の人形が動きますが、この人形は等身大です。
でもずいぶん高い所にあるので実感できませんが、とても大きいのでしょうね。
内容は、1568年のバイエルン大公の結婚式を祝うもので、騎士が馬上試合をしたり(勝つのは青と白の旗を持つバイエルン騎士です)、ビール樽を作る職人たちが踊ったりしています。
動くのは、特定日を除くほぼ毎日の11時と12時です(3~10月は17時も動きます)。

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21時には、夜景と天使とミュンヘン小僧が出て来ておやすみのあいさつをするので、夕食後にもう一度この広場に来ることにしました。

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ヨーロッパの石の大きな建物は、酸性雨によって随分黒く汚れているものが多いのです。
マリーエン広場のまわりには、ペーター教会やフラウエン教会(塔は修復中で足場で囲われていました)が見え、旧市庁舎もありました。

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シャブランとマッツァは先ず夕食を食べに行きました。
ホ―フブロイハウスは、マリーエン広場から歩いてすぐ近くです。
今夜は、マッツァ待望のドイツで一番有名なビアホール・ホ―フブロイハウスで夕食です。

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ホーフブロイとは、宮廷ビール醸造所という意味で、1589年に王宮の敷地内にヴィッテルスバッハ家の醸造所として造られました。
モーツアルトやオーストリア皇妃エリザベートやレーニンも訪れた所で、1920年にはヒトラーがナチス党の結成集会を開いた所でもあります。
現在は3000人を収容するドイツでも有名なビアホールで、入場料はかかりますが夜は上のフロアでショーも行っています。

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シャブランとマッツァは、上のホールでショーを見ながらビールを飲むことしました。
ホールには、観光客がいっぱいで賑やかでしたが、音楽と踊りとビール、とても楽しかったです。

ビールのジョッキは1Lあり、白ビールと黒ビールを注文しました。

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夕食には、ソーセージの盛り合わせやポテトスープ、それに夜なのに白ソーセージ(ヴァイスヴルスト)がありました。
ミュンヘンの代表的な白ソーセージは、仔牛肉にパセリや香辛料を混ぜたすり身を白い皮で包んだソーセージで、必ず茹でて2本で出てきます。
白ソーセージは、作りたてが美味しいソーセージなので、ミュンヘンの街ではお昼までしか白ソーセージは出してくれませんので、食べたい時には午前中にお店に入らなければならないのですが、ここにありました。
白ソーセージは、いたみやすいソーセージだったので、昔はできたての新鮮なものを午前中に食べる習慣があったようです。
今でも午前中しか出さないという伝統を守るお店が多いようですが、観光客も多い町ですし、伝統も少しずつ変わっていくのでしょうか。
この白ソーセージは、お皿に載せてナイフで皮をむいて、独特のマスタード(ズューサー・ゼンフ)を付けて食べるのですが、とても美味しくて大満足です。

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ビールも美味しかったのですが、なにしろ量が多くて・・・でも二人で全部飲みました。
ソーセージの盛り合わせもザワークラウトも満足できました。

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サービスをしてくれる方は、両手にジョッキを4つずつ持って運んでくるのでびっくりします。
人によっては5つ持っている人もいました。
シャブランとマッツァのテーブルを担当してくれた方は男性でしたが、とても陽気で楽しい方でした。

前方の舞台では、音楽とショーがあり、バイエルンの民族衣装を着た男女が音楽に合わせた回ったりしていました。
音楽は、時間毎に「乾杯の歌(アイン・プロージット)」が流れて合唱になります。
美味しいビールとソーセージ、とても楽しい夜を過ごしました。

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夕食後に再びマリーエン広場に来て、新市庁舎の21時に出てくる夜景と天使とミュンヘン小僧の「おやすみのあいさつ」を見ました。
右上に少し出てくるだけですが、シャブランが添乗員をしていた時にでもめったに見られませんでしたので、とても懐かしかったです。

再びマリーエン広場地下にある、マリーエンプラッツ駅からグロンスドルフ駅までSバーンの電車で帰りました。
電車もあまり待たずにきたので、アルコールを飲む時には電車が一番だと思いました。


今夜のホテルは、既にチェックインをしてあるホテル・ヴァッサーブルクです。
部屋はいつもシャワーのみですが、マッツァも慣れてくれたので全く問題ありません。
明日も車で走りますので、今夜もゆっくり休みます。

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<3泊目>2014年6月9日(月)ミュンヘン(ドイツ)泊
Hotel Wasserburg(ホテル ヴァッサーブルク)
Wasserburger Landstr. 145, トルーデリング-リーム, 81827 ミュンヘンMunich, ドイツGermany



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<4日目②>ミュンヘンのドイツ博物館

<4日目②/3>ヨーロッパ周遊レンタカーの旅30日間・ホーチミン経由(2014年6月9日・月)=ドイツ=
≪欧州3日目②≫ミュンヘン(ドイツ)泊



<4日目①>・・・・・からの続き


レーゲンスブルクからアウトバーンを走り、ミュンヘンの街に入ると、BMWの本社ビルが見えてきました。
この建物は4本の筒型の独特の形をしていて、車のシリンダーの形をしているので通称4気筒ビルと呼ばれています。
このビルが見えると、ミュンヘンの街に入っていきます。

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シャブランとマッツァは、車をイザール川沿いの道路にあった、パーキングメーターのある駐車スペースに停めました。
道路を渡って、イザール川の中州にあるドイツ博物館に行きました。

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ここは旅行前から、マッツァの行きたい所の上位にありましたので、レーゲンスブルグにいるときから、早くミュンヘンに行きたいとうるさかったです。

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ミュンヘンのドイツ博物館は、理科好きの人にはたまらない博物館だそうです。
シャブランはバリバリの文系で、物理・化学・数学などは天敵でした。
でもマッツァはバリバリの理系で、マッツァの普段のメモを見ても二次関数が書いてあるのをみて、いつも不思議に思います。
だって生活に二次関数なんて関係ないと思うんですけど、コンピューターの世界は奥が深いようです。

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そんなドイツ博物館、マッツァにとってどれだけ時間があっても不安なようです。
ジンスハイム交通技術博物館のときだって、どれだけ歩いたか・・・。
今回も覚悟しました。

シャブランはあまり解りませんので、マッツァが撮った写真を順に載せていきます。

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ドイツ博物館を、マッツァはしっかりと堪能し、閉館まで見学していました。
シャブランはジンスハイムへ行った時と同じように、ぶらぶらとマッツァの後をついて歩いていましたが、それでも素晴らしい博物館だということはよくわかりましたが、とても広すぎて疲れてしまいました。
でもシャブランとしては、楽器が面白かったです。

見学後に外へ出ると、ドイツ博物館の回りのイザール川沿いの風景がとてもきれいで、何か白い綿のようなふわふわした花(?)のようなものが飛んでいて、とても印象的でした。

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車に戻り、ミュンヘン市内だけど少し離れているホテルへ先にチェックインしに行きました。
駐車場が無料で、地下鉄の駅が近くて歩いて行けて、朝食付きの安いホテルは、あまり選択権が無かったです。
ドイツ博物館からほぼ1本道で、車で10分もかからなかったので、まずまずだと思います。
小さなホテルでしたが、居心地の良いHotel Wasserburg(ホテル ヴァッサーブルク)です。


<4日目③>へ続く・・・・・


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本格的な春到来!!今日は「春分の日」「春分」です!

本格的な春到来!!今日は「春分の日」「春分」です!(2015年3月21日・土)



3月21日(2015年)は、「春分の日」という国民の休日です。
春彼岸の中日でもあるのですが、マッツァの実家のお墓は他県にあり、マッツァは次男なのでお墓参りへは行きません。
高速道路を5時間走っていかなければならないので、年末年始とお盆でお許しを頂いています・・・。

今日は「春分の日」なので、気象庁で調べたら、今年の「春一番」は東海・関東地方では吹きませんでした。
「春一番」は、立春の翌日から春分までに吹く強い南風ですが、吹かない年もあるのですね。
でも、これで本格的な春到来です。

テレビのニュースや天気予報でよく使われている慣用的表現ですので、毎年同じような説明を聞いています。
「きょうは、『春分の日』。お彼岸の中日です。昼と夜の時間がほぼ等しく、きょうを境に次第に昼が長くなります。『暑さ寒さも彼岸まで』との言葉がありますが、きょうは穏やかな一日となりました。」

また「春分」は二十四節気のひとつです。

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<春分の日>
春分は、国民の祝日となる日を「春分の日」、天文学上の春分が生じる日を「春分日」と区別しています。
天文学的な話をすると、春分の日は、太陽が春分点(天球上の赤道を太陽が南から北へ横切る瞬間の交点)にくるため、「昼夜の長さが等しくなる日」と言われますが、実際には昼の方が長くなります。

古来人々は、この「春分の日」を自然に感謝し春を祝福する日としており、長い間冬眠をしていた動物たちが動き始め、人々もやる気に満ち溢れている時期でした。
そして、この日の前後に祖先に感謝をするお祭りを行い、この風習は農村部で長く続いてきました。
1878年(明治11年)には、宮中において祖先を祭る日となったのをきっかけとして、春分の中日を「春季皇霊祭」と定め、一般市民の間でも第二次大戦前まで祭日とされていましたが、今現在も同様に国民の祝日となっています。
名称は、1947年(昭和22年)に廃止されるまでは「春季皇霊祭」でしたが、1948年(昭和23年)に公布・施行された国民の祝日に関する法律(祝日法)によって制定されたことにより、「春分の日」となりました。
祝日法第2条では、「春分の日」を「自然をたたえ、生物をいつくしむ」との趣旨を法律で定めています。

仏教各派では、「春分の日」に「春季彼岸会」が行われ、宗派問わず墓参りをする人も多く見られます。
現在でも、「春分の日」というと「お彼岸」のイメージが強く残っています。

「春分の日」の具体的日付は、2015年(平成27年)は3月21日ですが、年により日付が異なり、通例3月20日から3月21日頃のいずれか1日となります。
祝日法の上では「春分の日 春分日」つまり同法上の「春分の日」を「春分日」とすることのみが規定され、日付は固定されていません。
実際の各年の「春分の日」は、国立天文台の算出する定気法による春分日を基にして、国立天文台が作成する『暦象年表』という小冊子に基づき閣議において決定され、決定する日の前年2月第1平日付の官報で暦要項として公告されます。
天文学に基づいて年毎に決定される国家の祝日は、世界的にみても珍しいようです。

すなわち、天文学における「春分日」は、天文観測に基づいて地球の運行状態などが変わらないと仮定できる範囲で、2年後以降のものも計算により特定できますが、国民の祝日としての「春分の日」は前年の2月にならなければその通りとまでは確定できないのです。
ただしこれまでのところ、天文計算によって求められた「春分日」以外が「春分の日」とされたことはありません。
天文計算の「春分日」は、1990年から2025年までは閏年とその翌年が3月20日になり、その他の年は3月21日となります。
それ以降、2026年からは閏年の前年が3月21日になり、その他の年は3月20日となります。
また、2092年の春分日は3月19日となります。
現行の祝日法ができる以前には、1923年の春季皇霊祭(春分の日)は3月22日でした。

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<春分>
春分(しゅんぶん)は二十四節気のひとつで、春分の期間としての意味は、啓蟄から数えて15日目頃で、この日から次の節気の清明までです。
春分は、太陽がちょうど春分点を通過した瞬間、つまり太陽黄経が0度となった瞬間のことで、3月21日頃(2015年は3月21日)になります。
黄経が0度とは、地球の赤道を延長した天の赤道と太陽の通り道の黄道がちょうど交差したところで、太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ等しくなります(厳密には昼の方が若干長い)。
暦の上ではそれが起こる日ですが、天文学ではその瞬間とし、日のほうは春分日(しゅんぶんび)と呼びます。
この春分日から夏至まで、昼がだんだん長くなり、夜が短くなります。
春分と秋分の3日前から7日間を、それぞれ春の彼岸、秋の彼岸としています。
春分・秋分は「春分の日」「彼岸の中日」となっており、彼岸は日本独自の行事です。
雷が稲光り、雷声が轟き始める時季でもあります。
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように、寒さは和らぎ過ごしやすい季節になります。
桜の開花情報が聞かれるのもこの頃からです。

また、イラン暦の元日であるノウルーズ(nawrūz)はちょうど春分の日に当たり、イランを中心に、中央アジアからアフリカまでに及ぶ広い地域で祝われる祭日でもあります(イスラム圏の一部)。
ヨーロッパなどでは、春分をもって春(spring)の始まりとしており、国によっては休日としています。
西洋占星術では、春分を白羊宮(おひつじ座)の始まりとなっています。

≪春分の日の太陽光≫
春分では太陽は赤道上にあるため、天文的な位置関係からは昼夜の長さが等しくなるように思えますが、実際は違います。
キリスト教での復活祭の日付を算出するには春分を基点とし、春分後最初の満月の次の日曜日を復活祭の日と定めており、この算出方法をコンプトゥスといいます。
ただし、ここでいう「春分」は暦の上での3月21日に固定されており、太陽黄経が0度の日とは必ずしも一致しません。
「満月」も簡素化した計算によって求められており、天文学上の満月とは必ずしも一致しないのです。
この算定法は第1ニカイア公会議で定められました。

≪暦便覧≫
暦便覧に「日天の中を行て昼夜とうぶんの時なり」と記されているとおり、春分では昼夜の長さがほぼ同じになります。
しかし、実際には昼の方が夜よりも長く、日本付近では年により差があり、平均すれば昼が夜よりも約14分長くなります。
これは、次の理由によります。
○大気差
大気による屈折で太陽の位置が実際より上に見えるため、太陽が上に見える角度の分、日の出が早く日没が遅くなります。
屈折は太陽が地平線に近いほど大きくなり、国立天文台では、太陽が地平線付近にある時のその角度を35分8秒と見積もっています。
ここから計算される日の出・日没の時間の差は約2分20秒です。
○太陽の視角
太陽の上端が地平線と一致した時刻を日の出あるいは日没と定義しているためです。
これにより、太陽の半径の分、日の出が早く日没が遅くなります。
ここから計算される日の出・日没の時間の差は約1分5秒です。
○日周視差
太陽の距離÷地球の半径は有限なので、視差により0.7秒日の出が遅く、0.7秒日の入りが早くなります。
○春分のずれ
1日の間にも太陽の黄経は変わるため、春分が1日のいつかにより昼夜の長さに差が出ます。
この効果は昼夜の長さを最大で±1.1分変えますが、平均には影響を与えません。

これらを合わせると、日の出は太陽の中心が地平線から昇るより平均3分25秒早く、日没は太陽の中心が地平線より沈むより平均3分25秒遅くなります。
したがって、春分の日の昼の長さは平均12時間7分、夜の長さは平均11時間53分になり、実際に昼夜の長さの差が最も小さくなる日は、春分の4日程度前になります。
春分日には、太陽は真東から昇って真西に沈みます。
赤道上の観測者から見ると、太陽は正午に天頂を通過することになります。
北極点または南極点の観測者から見ると、春分の太陽はちょうど地平線と重なるようにして動き、昇ることも沈むこともありません。

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<春分の期間の七十二候>
≪初候≫
雀始巣(すずめ はじめて すくう):雀が巣を構え始める(日本)
玄鳥至(げんちょう いたる):燕が南からやって来る(中国)
≪次候≫
桜始開(さくら はじめて ひらく):桜の花が咲き始める(日本)
雷乃発声(かみなり すなわち こえを はっす):遠くで雷の音がし始める(中国)
≪末候≫
雷乃発声(らい すなわち こえを はっす):遠くで雷の音がし始める(日本)
始雷(はじめて いなびかりす):稲光が初めて光る(中国)



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3月21日は<春彼岸の中日・春分の日>

3月21日は<春彼岸の中日・春分の日>(2015年3月21日・土)



<彼岸>
彼岸(ひがん)は雑節のひとつで、春分と秋分を中日とし、その前後3日を合わせた7日間(1年で計14日間)です。
この期間に(お寺で)行う仏事の彼岸会(ひがんえ)法要は日本独自のものであり、現在では彼岸の仏事は浄土思想に結びつけて説明される場合が多くみられているようです。
浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)とは、西方の遙か彼方にあると考えられています(西方浄土ともいいます)。
俗に、彼岸の中日に先祖に感謝し、残る6日は悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされています。

今年(2015年)の彼岸は、以下の通りです。
≪春彼岸:3月18日~24日≫春分の日が3月21日の場合
3月18日:彼岸入り
3月21日:彼岸の中日(=春分の日・祝日)
3月24日:彼岸明け
≪秋彼岸:9月20日~26日≫秋分の日が9月23日の場合
9月20日:彼岸入り
9月23日:彼岸の中日(=秋分の日・祝日)
9月26日:彼岸明け
つまり、彼岸の最初の日が「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」(あるいは地方によっては「はしりくち」と呼びます)です。
その真ん中にあたる春分と秋分を、「彼岸の中日(ちゅうにち)」と呼んでいるのです。
また、春の彼岸を「彼岸」「春彼岸」と呼ぶのに対し、秋の彼岸を「のちの彼岸」「秋彼岸」と呼び分けることもあります。

余談になりますが、俳諧では「彼岸」とは春の彼岸を意味しており、「彼岸」「彼岸前」「彼岸過」「中日」は春の季語になっています。
これに対し、秋の彼岸は「秋彼岸」「秋の彼岸」と言います。

春分と秋分は太陽が真東から昇って真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりです。
彼岸は昼と夜の長さがほぼ同じになる日ですが、お彼岸にお墓参りに行く風習は、この太陽に関係しています。
もとはシルクロードを経て伝わった、生を終えた後の世界を願う考え方に基づいています。
心に極楽浄土を思い描き浄土に生まれ変われることを願ったもの(念仏)と理解されているようです。

仏教では三途の川(さんずのかわ)を挟んで、私たちの住む世界を≪こちらの岸≫、ご先祖様の霊が住む世界を≪あちらの岸≫と考えられています。
その≪こちらの岸≫である私たちがいる迷いや煩悩に満ちた世界を「此岸(しがん)」といい、≪あちらの岸≫であるその反対側にあたる生死の海を渡って到達する悟りの世界を「彼岸」といいます。
この極楽浄土である彼岸は西の彼方にあるとされているため、太陽が真東から昇って真西に沈む秋分と春分は、彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると考えられたため、お墓参りや先祖供養をするようになりました。
また、(彼岸の)中日に夕陽を拝むと功徳があるといわれています。
日本に限らず古来から、太陽や祖霊信仰は原始宗教の頃からのつきものなのです。

この彼岸、インドなど他の仏教国にはない日本独自の行事で、806年(大同元年)に崇道天皇(早良親王)の詔として日本で初めて彼岸会が行われました。
『日本後紀』には、崇道天皇(早良親王)のために諸国の国分寺の僧に命じて「七日金剛般若経を読まわしむ」と記述されています。
いつの時代も、人として生を終えた後の世界への関心の高いことは同じであり、いつの間にか生を終えていった祖先を供養する行事として定着したようです。

彼岸会の「彼岸」は、「日願(ひがん)」から来ているとも考えられています。
日本には、正月など神道にまつわる行事を行う一方、仏教を説いた釈迦の教えも受け入れてきたという神仏両方を共にまつるという風土があるので、太陽神を信仰する神道の「日願」と仏教の「彼岸」が結びつきやすかったという説もあるようです。
日本各地のお寺では、この期間に「彼岸会(ひがんえ)」の法要が営われます。

また春の彼岸を「彼岸」「春彼岸」と呼ぶのに対し、 秋の彼岸を「のちの彼岸」「秋彼岸」と呼び分けることもあります。
この彼岸は、日本人の生活に農耕が深くかかわっていたため、春の種まきや秋の収穫とも結びつき、自然に対する感謝や祈りがご先祖様に感謝する気持ちにもつながり、彼岸は日本人にとって大切な行事となりました。

日本の各家々では、彼岸までに仏壇や仏具、お墓の掃除をします。
そして彼岸には、仏壇に供花や菓子・果物などをお供えし、お墓参りに行きます。
そして、中日には夕陽を拝むのです。

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<春分の日・国民の休日>
現在の日本では、彼岸の中日である「春分の日」「秋分の日」は国民の祝日になっています。
祝日法によると、
春分の日→『自然をたたえ、生物をいつくしむ日』
秋分の日→『祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日』
となっており、意味合いを分けています。


<「彼岸」の言葉の由来>
由来は、サンスクリットのpāram(パーラム)の意訳であり、仏教用語としては、「波羅蜜」(Pāramitā パーラミター)の意訳である「至彼岸」に由来しています。
「彼岸」という言葉は、Pāramitāをpāram(彼岸に)+ita(至った)、つまり「彼岸」という場所に至ることと解釈しており、悟りに至るために越えるべき迷いや煩悩を川に例え(三途の川とは無関係です)、その向こう岸に涅槃があるとしているのです。
ただし、「波羅蜜」の解釈については有力な異説があるようです。


<彼岸の気候>
日本の気候を表す慣用句に、「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があります。
春分と秋分は、それぞれ二十四節気のひとつになっており、暦の上では春と秋の折り目となっています。
この春分と秋分では、昼と夜の長さがほぼ同じになりますが、 春分以降は昼が長くなるため寒さが和らぎ、秋分以降は秋の夜長に向かうため涼しくなっていきます。
つまり残寒・残暑は彼岸のころまで続き、彼岸をすぎるとやわらぐという意味なのです。
ただし、昼と夜の長さが同じだからといって、春分と秋分の気候が同じになるわけではありません。
暑さの名残で秋分のほうが10度以上も気温が高いのですが、彼岸を迎えれば厳しい残暑や寒さも目処がつき「暑さ寒さも彼岸まで」というようになったようです。
≪春分は春(立春~立夏の前日)の折り返し地点≫
⇒春分以降、昼が長くなってゆく
⇒寒さが和らぎ暖かくなる
≪秋分は秋(立秋~立冬の前日)の折り返し地点≫
⇒秋分以降、昼が短くなってゆく
⇒暑さが和らぎ涼しくなる
また「暑さ寒さも彼岸まで」には、迷い・悩み・煩悩に惑わされている人間が悟りの世界と通じるときでもあり、自然に寄り添う暮らしの中で、『暑さ寒さやそれに伴う様々なつらさも、彼岸のころには和らいで楽になる』という……励ましの意もあったのです。


<ぼた餅とおはぎ>
お彼岸のお供えものの定番といえば、「ぼた餅」や「おはぎ」があります。
地域によって、「おはぎ」と呼ばれたり「ぼた餅」と呼ばれたりしていますが、これらは同じ物です。
漢字で書くと「御萩」と「牡丹餅」となり、秋は小豆の粒を秋に咲く≪萩≫の花に見立てて「御萩」、春は春に咲く≪牡丹≫の花に見立てて「牡丹餅」と呼んだのです。
ですから、厳密に言うと春は「ぼた餅」、秋は「おはぎ」と呼ぶのが良いようです。

さらに春と秋だけではなく、夏と冬にも呼び名があるようです。
ぼた餅は、杵を使って本格的な餅つきをする必要がなく静かに作れることから、夏は「夜船」、冬は「北窓」とも言うようです。
  ≪夏の呼び名≫
    (餅なのに)いつついたのかわからない
    ⇒(夜の闇で)闇にまぎれ、いつ着いたのかわからない
    ⇒「夜船」
  ≪冬の呼び名≫
(餅つきをしなくてもいいので)つきを知らない
    ⇒(北向きでは月が見られないため)月を知らない
    ⇒「北窓」
「牡丹餅」「夜船」「御萩」「北窓」と春夏秋冬の呼び名があるとは、実に洒落ています。
お彼岸はもちろんのこと、一年中楽しんで食べられますね。

このぼた餅、もち米とうるち米を混ぜて炊き、軽くついて丸めたものを小豆あんで包んだ和菓子です。
また、材料となる小豆は秋に収穫されるので、春はかたくなった皮を取ったこしあん、秋は皮ごと使った粒あんを使っていました。
そのため、「ぼた餅」はこしあん、「おはぎ」は粒あんを使って作ると言われているようです。
「ぼた餅」と「おはぎ」の形には、やはり違いがありました。
牡丹の花は大きくて丸い花、萩の花は小さくてやや細長い花です。
そこで、「ぼたもち」は大きめで丸い形に、「おはぎ」は小ぶりで俵の形に作って、違いを出していました。
現在は、こうした違いにこだわらないものが多くなりましたが、本来は春と秋で区別していたわけです。
また、小豆あんを「ぼた餅」、きな粉をまぶしたものを「おはぎ」と呼んだり、米粒が残らない餅状につぶしたもの(俗称:皆殺し)を「ぼた餅」、米粒が残ったもの(俗称:半殺し)を「おはぎ」と呼ぶなど、地方によっても様々なようです。

このぼた餅やおはぎに入っている小豆の赤色には、災いが身に降りかからないようにするおまじないの効果(小豆は魔除けとなります)があると言われています。
おもちは五穀豊穣に通じていることもあり、日本の行事に欠かせないものです。
また、今と違って昔は甘いものが貴重だったため、 ぼた餅といえばご馳走で、大切なお客様、お祝い、寄り合いなどでふるまわれ、法要の際にも必ずお供えしていました。
お彼岸にお馴染みなのはそのためで、思いがけずよいことがあることを、「棚からぼたもち(労せずして思いがけない幸運がめぐってくることのたとえ)」といって幸運の象徴にされていることからも、いかに人々の暮らしに根付き、愛されていたかがわかりますし、小さなぼた餅にさえ風情を盛り込むのが日本人は素晴らしいと思います。
また地方によっては、お団子やいなり寿司をお供えしたり、食べたりするところもあるようです。


<彼岸花>
彼岸花は、まるで彼岸に合わせたかのように、秋分のころに田んぼの畦道などに群生して咲きます。
9月中旬に真っ赤な花をつけるため、お彼岸の頃に咲く花として親しまれています。
彼岸花は、ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草です。
彼岸花の別名である曼珠沙華(まんじゅしゃげ/かんじゅしゃか)は、サンスクリット語のmanjusakaで「天界に咲く花」という意味です。
おめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典から来ています。

お彼岸に咲く彼岸花は、土葬をモグラや野ネズミなどから守る意味もあり、墓地などによく植えられているため、「死人花(しびとばな)」「地獄花(じごくばな)」「幽霊花(ゆうれいばな)」というようなちょっと怖い呼び名もついています。
なぜなら彼岸花は、開花期間が1週間ほどなのに、秋の彼岸と時を同じくするかのように開花し、あの世とこの世が最も通じやすい時期に咲く花でもあるのです。

また、この彼岸花にはアルカロイドという毒があるため、「毒花(どくばな)」「痺れ花(しびればな)」などと呼ばれています。
その反面、でんぷんを多く含んでいるため食用可能で、アルカロイドの毒は水にさらすと抜けるため、昔は飢餓で苦しい時に毒を抜いて万一の時の非常食にしたこともあったようです。
そのため田んぼの畦道に彼岸花が多いのは、その毒でモグラや野ネズミを防除するためだけではなく、飢饉に備えて植えたという説もあり、危険を覚悟してまで口にしなければならなかった昔の人の生活の苦労が偲ばれます。

彼岸花は、その花の姿から「天蓋花(てんがいばな)」「狐の松明(きつねのたいまつ)」「狐のかんざし」「剃刀花(かみそりばな)」など、全国にはたくさんの呼び名があります。
また、花のある時期には葉がなく、葉のある時期には花がないという特徴から、「葉見ず花見ず(はみずはなみず)」とも呼ばれています。

この彼岸花、呼び名だけでもかなり妖しい雰囲気が漂いますが、その生長ぶりがさらに不思議です。
彼岸花は、すらっと伸びた茎に鮮やかな花だけがついていて、葉が全くありません。
これも妖しく見える原因のひとつですが、実は花が終わってから葉が出てくるのです。
しかも彼岸花の生長サイクルは、普通の植物とは逆です。

≪秋に急成長・開花≫
彼岸花は、秋雨が降ってやがて彼岸という頃になると芽を出し、1日に10cm近くも茎が伸び、瞬く間に50センチ位になって真っ赤な花を咲かせます。
そして、1週間ほどで花も茎も枯れてしまい、今度は球根から緑の葉っぱがすくすくと伸びてくるのです。
≪冬に葉を茂らせる≫
彼岸花は、冬になって周りの植物が枯れても、たわわにしげった葉っぱのままで冬を越します。
≪春に光合成≫
そして春には、光合成をして球根に栄養をため込みます。
≪夏に枯れる≫
彼岸花は、夏を迎える頃には葉を枯らし、休眠期に入ります。
≪再び秋に開花≫
やがて秋雨をたっぷり含んだ彼岸花は、急ピッチで姿を現して再び花を咲かせます。

まるで普通の草花とサイクルが逆で面白いです。
彼岸花には、鮮やかな赤だけでなく白(シロバナマンジュシャゲ)や黄色いものもありますが、いずれも球根には毒をもっているので注意が必要です。

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<がん闘病記12>排尿痛がないために、躊躇なく飲水できる

<がん闘病記12>排尿痛がないために、躊躇なく飲水できる(2015年2月25日・水)



マッツァは、膀胱内のがんから出血しているので、がんが混じっている血液を流しだすために、毎日たくさんの水分を摂取しなければなりません。
そのため、とても頻尿になっています。


今のマッツァは、たくさん飲水してたくさん排尿しなければ、膀胱内にがんとがんが混じった血液が充満してしまいます。
そして、そのがんが混じっている血液が、尿道に炎症を起こさせて痛みが出ているのではないかと思います。
「水分は、もっと取らないとだめなんじゃないの?先生には1日2L位飲むと良いと言われたんだよね。」
と、シャブランが言うと、
「そうだな。今は薬が効いていて痛くないから、しっかり飲めるしな。」
と、こまめに飲水するようになりました。
「でも水分とって寝ると、夜中にトイレに行きたくなって、眼が覚めてしまうよ。」
と言いながらも、水分を取って休みました。

今まで排尿痛があったために、排尿するのが怖くてなかなか飲水が進みませんでした。
でも今は痛み止めを飲んでいて排尿痛がないため、躊躇なく飲水できるようになりました。
「痛み止めを飲んでいると、痛みがないだけでなく、トイレに行く回数も減ったような気がするよ。」
と、頻尿も改善されたようだと感じているようで、話す時も表情が今までよりは少し柔らかくなったような気がします。

しかし、逆に排尿の回数が減ると、尿閉の危険性が高くなるような気がして、シャブランは怖いです。
尿閉になると、尿を排泄できず膀胱に尿が溜まったままになり、腎臓から尿管を通って新しい尿を膀胱へ排尿できません。
そうすると、排尿できない尿が腎臓に溜まってしまい、水腎症になってしまう危険があるのです。
先生からは、
「排尿できなくなったら、すぐに救急車で病院へ来て下さい。」
と言われています。


毎日痛みがある生活は、がんにかかってしまったという精神的な負担を抱えているマッツァにとって、より苦痛が大きかったので、痛み止めが効いてほっとしてます。
でも、飲水が苦労なくできるようになったのに、排尿の回数が減ったことは、逆に注意しなければならないとシャブランは感じています。



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<がん闘病記11>痛み止めが効いています

<がん闘病記11>痛み止めが効いています(2015年2月24日・火)



検査結果を聞いてからも、マッツァは普通に仕事へ行っています。


排尿痛があるので、先生に痛み止めを処方してもらったのですが、この薬が効いているようです。
「1日1回飲めばいいかな。」
と、最初は言っていたのですが、
「朝痛み止めを飲んだら、おしっこをする時、薬が効いて痛くなかったんだけど、午後にはもう痛くなってしまったから、毎回飲まないとだめだな。」
痛み止めは、毎回食事前に飲まないと効果が無いようです。

その痛み止め、マッツァはすぐに飲み忘れてしまいます。
薬は食前薬で、会社でお昼ご飯を食べる時も飲み忘れてしまい、あわてて食事中に飲んでしまうそうです。
家でも、シャブランが毎回言わなければ、薬を飲み忘れてしまいます。
「食前薬は、すぐ飲み忘れてしまうからだめだなあ。」
と、マッツァも飲み忘れてしまうことが気になっているようです。
この痛み止めの食前薬は、胃が荒れる危険性があるので食前に飲む必要があるのです。

そこで、ポストイット(付箋)を使うことにしました。
食事の度に、食卓に揃えてある箸の上に、赤い字で「くすり」と書いたポストイットを置くようにしました。
「これなら飲み忘れはないな。」
マッツァの痛み止めの飲み忘れはなくなりました。


マッツァは今は、痛み止めを飲んだり、水分をたくさん飲んで尿をたくさん出すことで、がんを流し出すなどの対処療法しかありません。
早く、身体的にも精神的にも楽になってほしいです。



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<がん闘病記10>痛み止めを飲み始めました

<がん闘病記10>痛み止めを飲み始めました(2015年2月23日・月)



今日は、マッツァの検査結果の説明の日でした。
結果は、悲しいけどあまり良いものではありませんでした。
でも、前向きに手術に向かって頑張っていこうとマッツァと話しました。


マッツァは、排尿時に痛み(排尿痛)があります。
排尿痛があると排尿することが辛くなり、そのため水分摂取を控えてしまい、するとがんから出血した血液が尿道に詰まり易くなって尿閉をおこす危険性が高くなるのです。
そうならないためにも、今回の検査結果の説明の時に、痛み止めを出して貰いました。

排尿痛があることを先生に伝えると、
「痛みがありますか。では痛み止めを出しておきましょう。」
と、鎮痛剤を処方してくれました。
そのときマッツァは、少しほっととした表情をしました。
本当に辛かったのでしょう。

排尿は、人間だれにでも、1日に何回もあります。
つまり、1日何回も痛みを伴う排尿をしなければならないのです。
先生からは、1日に2リットル位の水分を取るように言われています。
それなのに、今までよりももっとたくさんの水分摂取と、より頻回の排尿の必要性があると言われることは、マッツァにとってはよりたくさん痛みを感じなさいと言われているようなものです。
それが、痛み止めを飲むことで緩和されることは、ホッとできることだったのでしょう。


対処療法でしかありませんが、痛み止めを飲むことで、マッツァが少しでも楽に過ごすことができると良いなと思っています。
でもその前に、マッツァが食前に薬を飲み忘れないように工夫しなければと思っているシャブランです。


*内容を変更しました。



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<がん闘病記9>検査結果に愕然・・

<がん闘病記9>検査結果に愕然・・(2015年2月23日・月)



2月23日(月)は検査結果の出る日でした。

朝シャブランがマッツァに、
「時間は決まっているんじゃないの?」
と聞くと、
「時間なんて関係ないだろ。8時には出るぞ。」
と、病院の受付が開く時間に合わせて家を出ました。
でも病院の受付で予約時間が出ており、改めて確認すると、マッツァが持っている病院の書類の中には、予約時間が描いてある用紙もありました。
「あの時は、がんと言われてショックであまり覚えてないんだよ。」
マッツァはその予約時間が描いてある用紙に気付かなかったようです。


マッツァは家に帰らずここで待つと言って、一緒に泌尿器科の診察室の前で、3時間座って待っていました。
予約時間に診察室で、先生に結果を説明されました。

最初は、
「親指の先くらいの腫瘍があります。」
と説明されたのですが、診察室でCTの映像を一緒に見ると、膀胱の7割くらいの大きさはあるように見え、先生もびっくりしているようでした。
マッツァとシャブランも、CTの映像を見て、がんの大きさに愕然としましたが、
「大きいな。4cmくらいあるなあ。」
と先生は話されましたが、先生は前もって検査結果を見ていなかったのではないかという言い方で、マッツァも同じように感じていたことを家で話していました。
「前もって他の先生と情報の共有をして意見交換をしてないのかな。今初めて見たような感じで患者に言われるとはなあ。」
先生の言葉に、マッツァも引っかかるようで家に帰ってから思いを話しました。
そう言えば、診察室に入って説明される前に、
「ああ、○○さん。検査はされたんですよね。」
と言われましたので、シャブランは「あれっ」と思ったのですが、マッツァも同じように違和感を感じていて、先生は検査をしたことも忘れていたような言動でした。
毎日たくさんの人を診察しているのはわかりますが、シャブランとマッツァにとってがんと診察(2月2日・月)されてから、最初の検査日(2月17日・火)まで2週間以上も日にちがあく必要があったのかと疑問と不安があったのですが、今回先生は、
「手術は少しでも早いほうがいいですよね。」
と、なるべく早くできる手術日を探して3月3日にしてくれましたが、それならもっと早く検査ができたのではないかと思いました。

検査結果を説明される時も最初に
「色々調べられたと思いますが。」
と言われたので頷いたら、その後の説明は聞くと話してくれるというくらいに感じました。
マッツァも家に帰ってから、
「説明の少ない先生だよな。前もって勉強してこちらから聞かなければ答えてくれないような感じだな。状況は把握しておきたいし、なにがどうなっているか、どのように手術するかを素人に分かるように、言わなくても教えてほしいよな。わざわざ今日は仕事を1日休んだんだから・・・。」
検査の日も、膀胱部分のレントゲンと造影剤を使用してのCTであっという間に終わってしまいましたので、マッツァはとてもびっくりして、
「これなら検査は診察してすぐにできたと思うな。検査2つで10~15分もかかってなかったよ。これなら仕事に行けたよな。」
と検査の時間の短さにびっくりしていました。

でもマッツァは、
「ここで手術を受けるって決めたんだから。先ずは内視鏡で削ってみて、その後は改めて考えるよ。」
でも先生は診察室で検査結果を話してくれながら、足を延ばしてふんぞり返るように座って話されていましたので、とても偉そうな態度に見えました。
本当にお医者様は偉いのかもしれませし、朝から診察をしていて疲れていたのかもしれませんが、シャブランとしてはとても不安で悲しかったです。
でも3月3日に手術をこの病院で受けるとマッツァが決めたことで、先生を信頼してお任せすることにしました。


手術日が決まったので、マッツァはそのまま術前検査に回ることになりました。
「腹が減ったよ。お昼はとうに過ぎているのになあ。ごはんはどうしよう。」
と、食べることが好きなマッツァは空腹を我慢することに慣れていないので、空腹で少しイライラしてきているようでした。
でも無事に全ての検査を終了して病院を出たのが2時頃になってしまいました。
「手術前には食べられなくなるし水分も飲めなくなるんだから、少しおなかが減っただけで我慢できなくなるんじゃどうするの?」
とシャブランが言うと、
「ごはん食べられないのか。水が飲めなきゃのどが渇くんじゃないか。」
と、術前術後の食事制限や水分制限を我慢する時に機嫌が悪くならなければいいと改めて思ったシャブランです。

検査は胸部レントゲンと呼吸機能検査、心電図、肝炎やHIV検査を兼ねた採血、出血時間などでした。
手術は、呼吸機能まで検査するのだから全身麻酔で行うんだろうと思ったのですが、説明がなかったので翌日(今日24日)に電話をすると、先生に聞かなければわからないと電話口で言われました。
メモを用意して、先生との面談に予約すると、改めて詳しく教えてくれるそうです。

検査結果を説明された時の先生は、がんと診断された患者の不安を本当に理解しているのかと、とても悲しくなる対応に感じてしましたが、診察室では話せることも限られることをシャブランがわかっていてもそのことをしっかりと理解していなかったと反省しています。

説明と同意をしっかりとしてくださるようで、ちょっとほっとしたシャブランですが、今夜マッツァが仕事から帰ったら、どうするか相談したいと思います。



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<がん闘病記8>排尿痛と排尿が我慢できない・・

<がん闘病記8>排尿痛と排尿が我慢できない・・(2015年2月22日・日)


残尿感が変わらないことや、排尿痛がでてきたことなどの不安を、マッツァは言葉に出すようになりました。
血尿は変わらないようですが、今までシャブランが聞いても
「変わらないよ。」
と、返事は同じでしたが、少しずつ現状をそのまま話すようになりました。


≪残尿感≫
「トイレへ行って排尿しても、まだ出る感じがするんだよな」
と、残尿感が残っているようです。
「でもしばらくすれば大丈夫なんだよ。」
残尿感は、変わらず続いているようですが、時間がたてば感じなくなるようです。


≪排尿痛≫
最初はなかった排尿痛が、少しずつ出てきたようです。

「排尿痛があるんだよ。大丈夫かな。」
と、排尿時に排尿痛があると、マッツァが2月18日(木)に初めてシャブランに排尿痛の不安を話しました。
排尿痛は、痛みが出でからは消失することはないようです。
また痛みが強くなるようなことはないようで、
「あまり変わりないよ。」
と、排尿痛が強くはなってはいないようです。

「18日から排尿痛が出たのよ。ノートに書いてあるから間違ってないと思うわよ。」
とシャブランが言うと(シャブランは日々マッツァの状態をノートに記録しています)、
「その前からあったよ。」
と、随分前から排尿痛があったことをマッツァが言うので、
「そうなの?言ってくれないとわからないじゃない。聴いても言わないし・・・。」
とシャブランが言うと、
「排尿痛は、一番最初に出血した時はなかったけど、いつから出たのかはわからない。」
と、排尿痛がいつから出たのかは覚えていないようです。
でも、マッツァが言葉でシャブランに排尿痛があること話した最初の日が、2月18日(木)でした。

「トイレ行ったすぐあとが、痛みや残尿感があるけど、しばらくすれば大丈夫なんだよ。」
排尿痛や残尿感は、時間が立つと大丈夫なようです。
「排尿痛があるようだけど、どこが痛いの?」
とシャブランが聞くと、
「先が痛いんだよ。」
と、排尿時に先端に疼痛があることを話しました。


≪排尿が我慢できない≫
「あっ、トイレ!トイレ!」
尿意が出ると、すぐに排尿したくなるようで、我慢がきかなくなったようです。
「あっ、トイレ行きたくなった。ああ、我慢できない・・・」
狭い家の中でも走っていくので、
「こんなに我慢できないと困ったな。」
と、尿意があるとすぐに排尿したくなり、我慢できないと不安をこぼしました。
電車での通勤時や仕事先では、より不安があるようです。
シャブランも見ていて、尿意を感じて直ぐに排尿したくなり我慢できないとトイレに走っていく姿を見ると、大丈夫なのかなと心配になります。


≪血尿≫
シャブランが血尿の状態を聞くと、
「変わらないよ。」
と答えていたマッツァが、
「血尿が続いているよ。」
と、今日ははっきりと言いました。
「血尿はどんな様子なの?」
とシャブランが聞くと、
「おしっこの最後がピンクになったり、薄くなったり、いろいろだよ。でも血尿は続いているよ。」
と、血尿は続いていると今日はっきりと話しました。


明日は検査結果を病院に聞きに行きます。
「明日は一人で行ってもいいよ。」
と、マッツァはシャブランが付いてこなくていいと言ったけど、
「どんな話かわからないから、一緒に行ったほうがいいんじゃないの?」
とシャブランが言うと返事はなかったので、明日は病院について行くことにしました。
シャブランとしては不安ですが、一緒に聞いておきたいと思っています。
マッツァは結果を聞くのが本当に不安だということが、見ていて良くわかります。


明日は病院で、少しでも良い話を聞けるといいなと思っているシャブランです。



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「三寒四温」と「小春日和」

「三寒四温」と「小春日和」(2015年2月21日・土)



<三寒四温>
立春や雨水を過ぎた今の時期、三寒四温という言葉を耳にすることがあります。

三寒四温は、もともとは中国東北部や朝鮮半島北部で、“冬”の時期に寒い日が3日くらい続くとそのあとに比較的暖かい日が4日続くという“冬”の寒暖の周期を表す言葉で、“冬”のシベリア高気圧から吹き出す寒気が7日ぐらいの周期で、強まったり弱まったりすることに由来する言葉です。

でも日本に伝わると、「三寒四温」は本来使われる“冬”ではなく、“春先”に使われることが多くなりました。
日本では、“早春”に低気圧と高気圧が交互にやってきて、低気圧が通過して寒気が流れ込んで寒くなった後、今度は高気圧に覆われて暖かくなるなど、周期的な気温の変化を繰り返すことが多くなります。
このため、日本では寒暖の変化がはっきりと現れる“春先”にこの言葉を用いる人が多くなったと考えられます。
三寒四温、これを繰り返しながら、日本はだんだん暖かくなって春に向かいます。

ただし、「三寒四温」は気象学用語ではありません。
なぜならば、実際に日本では、3日間寒い日が続いたあとに4日間暖かい日が続くという周期が現れることはほとんどないからです。

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<小春日和>
「小春日和」とは、“晩秋から初冬”にかけて、移動性高気圧に覆われた時などのおだやかで暖かい天候のことで、“晩秋から初冬”に使います。
だから、“早春”の暖かい日に「小春日和(こはるびより)」は使いません。

なぜならば、小春とは陰暦10月(現在の太陽暦の11月頃に相当)のことで、この頃の陽気が“春”に似ているために、「小春日和」と呼ばれるようになったもので、“春”ではないからです。

でも今日も穏やかな日差しが暖かいので、「小春日和」と使いたくなります。
でも使えないので、
「春が近付いているのが実感できる、暖かい週末の1日です。」
と記しましょう。


シャブランはこのブログを初めてから、改めて色々調べることが多くなりました。
しかし、言葉は時代とともに変わりゆくものですが、日本語はとても季節を大切にできる言葉だと改めて感じています。



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フェイバリット:お気に入りの猫型コーヒーカップ第2弾!

フェイバリット:お気に入りの猫型コーヒーカップ第2弾!(2015年2月21日・土)



シャブランのお気に入りの猫型コーヒーカップですが、アクセスがとても多く、気に入って下さる方が多いようです。

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実はシャブランは、先月(1月末)に改めて「猫型コーヒーカップ」をいくつか購入しています。
直接作家先生のご自宅にお邪魔して、お話しながら購入してきました。
作家先生は優しい雰囲気の方で、その時に色々お話をさせて頂いて、とてもホッとできる方だと感じました。
ブログで作家先生を紹介させて頂いても良いかと確認しましたら、快く「どうぞ」と許可を頂きましたのでご紹介させて頂きます。


猫型コーヒーカップの作家先生は、「小田兼丈先生」です。


この猫型コーヒーカップは、小田先生が意匠登録されているそうです。
よく似た益子焼の猫型コーヒーカップは、小田先生のデザインをまねたもので、許可なく作成されたものだそうです。
だから、同じ物が欲しくて再び益子へ行った時には既に扱っていなくて、「作家先生は東京の方で、連絡先はわかりません。」と言われたのだと思います。
そのため、シャブランはてっきり小田先生の作品だと思ったのですが、残念ながら違っていました。


シャブランが、先月新たに購入した作品の写真です。

☆猫型コーヒーカップ(手作り:持ち手右)

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☆猫型コーヒーカップ(手作り:持ち手左)

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☆ソーサーがピンクとブルーのまねき猫型コーヒーカップ(黒のソーサーのカップも持っていました)は、シャブランのお気に入りでしたが、東日本大震災で割れてしまったものでした(型抜き)。

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☆猫型の楊枝入れ

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☆猫型の香炉

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☆猫型の花瓶

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猫型コーヒーカップ(の一部)と花瓶は、昔「通販生活」で販売していたものだそうです。


シャブランが大好きな、小田兼丈先生の作品です。



◎現在、小田先生は個展の予定はなく、購入する場合には、直接先生のご自宅に連絡するしか方法はありません。
インターネットで、「小田兼丈」先生を検索するとホームページがあり、メッセージを送ることができるようになっていますが、現在は繋がらなくなっています(パソコンが苦手なようです)。
もしも購入希望の方がいらっしゃいましたら、ウェブリブログにログインして、このブログの右にあるメッセージに連絡を頂きたいと思います。
シャブラン



◎下記は関連ブログです。
フェイバリット:益子焼の猫型コーヒーカップ(2015年1月16日・金)
フェイバリット:お気に入りの猫型コーヒーカップ第1弾!(2015年1月16日・金)



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2015年第2弾!仮装が楽しかった青梅マラソン!!

2015年第2弾!仮装が楽しかった青梅マラソン!!(2015年2月21日・土)



青梅マラソンの応援に行ってきました。
今年は、沿道の応援の人たちが、いつもより少なかったように感じました。
仮装のランナーも、年々少なくなっているように感じますが、まだまだ楽しませてくれています。

シャブランとマッツァは、毎年ランナーが帰ってくるのを待っています。
今年も帰ってくるランナーを、お昼ごはんを食べながら待ちました。

いつも思うのですが、仮装しているランナーも基本しっかりと走っていて、仮装したままきちんと走って帰って来ますので、応援の甲斐があります。

今回も、前回アップできなかった仮装ランナーの写真を中心に載せていきます。
写真はデジカメで撮った順番に、そしてその後にスマホで取った写真を1枚載せます。
でもシャブランの写真を取る腕は悪いので、随分ボケてる写真があります。
ボケてたら・・・ごめんなさい・・・。
前回に、高橋尚子さんの写真を載せたのですが、やはりボケてましたよね(楽しかった青梅マラソン第1弾)。

もし写真に乗っているランナーの方で不都合な人は、写真を下げさせて頂きますので、お手数ですがコメントを入れて下さい。


デジカメで撮った10Kmの仮装ランナーです。

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デジカメで撮った30Kmの行きの仮装ランナーです。

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30Kmの帰りの仮装ランナーです。

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スマホの写真は、この1枚です。

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これで2015年青梅マラソンの仮装の写真は終わりです。
来年の青梅マラソンも、楽しみにしています。


◎仮装の写真で、ボケててもいいならコピーはお好きにどうぞ!!

◎下記は関連ブログです。
今日は、青梅マラソン!!(2015年2月15日・日)
楽しかった青梅マラソン!!2015年仮装ランナー第1弾!(2015年2月15日・日)



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