<4日目①番外編2>中世ヨーロッパの郵便馬車と旅籠屋ポスト・ホテル

<4日目①番外編2>ヨーロッパ周遊レンタカーの旅30日間・ホーチミン経由(2015年2月12日・木)



駅馬車と言うとアメリカの西部劇を思い出しますが、もとはヨーロッパの郵便馬車から始まりました。

実は飛脚の歴史は古く、ギリシャ時代から手紙は手紙専門の飛脚が運ぶならわしがありました。
しかし飛脚に手紙を頼むと、料金がたいへん料金が高く、王侯貴族や豪商はともかく、一般の人々が飛脚に手紙を頼むのはよほどの場合だけで、なかなか利用できませんでした。
それをフランツ・フォン・タクシスが作りだした郵便馬車は、ハブスブルク家が支配していた神聖ローマ帝国の領域である、北はドイツ全域、ベルギー、フランス、から南はイタリアの南端に至るまで広範囲にヨーロッパの各地を結んで、公用と民間の全ての馬車郵便である「タクシス郵便」を発達させました。
これはフランツ・フォン・タクシスが作った、駅を作って馬車と馬車で手紙や小荷物をリレーするという方法で、配達の距離や速さも従来の飛脚とは比べ物にならないほどの優れた郵便馬車業務システムでした。
タクシス家は、神聖ローマ帝国領外の主要地までも路線を伸ばし、一時はヨーロッパ大陸の郵便をほとんど独占していたようです。
17世紀末になると郵便馬車が人も乗せるようになり、続く18世紀には旅行需要の拡大もあって、利用者の層も広く増えていきました。
ここからヨーロッパの郵便事業が始まりました。

日本では、江戸時代の飛脚のようなシステムですよね。
日本と違うのは、親書(郵便)だけでなく小荷物や人も運んだことです。


それまでの馬車は、王侯貴族、高位聖職者、豪商などの私有の馬車しかなく、一般の人々が旅をするには歩くしかありませんでした。
しかし商業や手工業が発達し、多くの一般市民が遠方へ旅をするようになると、注文に応じて市内や近辺へ行くだけの馬車屋が発展しました。
それまで飛脚やホルン(角笛)を使った肉屋郵便はありましたが、15世紀になると、個人で馬車を持つことが難しかった一般市民も、大勢が一緒に利用するという利点が生かされた乗合馬車が生まれました。
そして飛脚の利用料金がとても高かったので、乗合馬車が、小荷物の一種として手紙も預かる習慣が生まれました。
乗合馬車が通る街道は限られていましたし、手紙は目的地のポスト旅籠で留め置かれましたので、飛脚のように迅速かつ確実に手元までと言うわけにはいきませんでしたが、料金は飛脚とは比べ物にならない程安かったのです。
そのため少しずつ利用者が増え、乗合馬車は人や小荷物だけでなく、手紙も運ぶようになったのです。

そこでフランツ・フォン・タクシスは、帝国公認の郵便事業に使う乗合馬車をすべて美しい黄色に塗り、御者には華やかな制服を着せてクラクションの役目をするホルン(角笛)を持たせて、帝国の主要道路に送り出したのです。
「鮮やかな黄色い馬車」は、当時としては破天荒なスタイルで人々を大変驚かせて、郵便事業は順調に伸びていきました。
それまで乗合馬車が片手間に預かっていた手紙はポスト旅籠留めでしたが、フランツ・フォン・タクシスはローカルの飛脚を使って配達させました。
馬車で一括して運ぶ安さと、行った先では飛脚が届ける迅速さ、確実さが、こうして組み合されました。

当初は4人乗りか6人乗りでしたが、その後12人乗りのような大型の長距離乗合馬車も登場しました。
そして、ヨーロッパに一定の日時に街道を往来する長距離乗合馬車ができ、人々が遠くまで旅をすることができるようになりました。

モーツァルトが、ヨーロッパ中を旅できたのもこの長距離乗合馬車のおかげでした。
ただ、その料金は大変高かったうえに、乗り心地は最低だったようです。
バネの利いた車両もゴムのタイヤもない時代に、舗装されていないデコボコ道を馬車で飛ばすのですから、快適な旅など望むほうが無理だったのだと思います。

この乗合馬車は、一定の日時に街道を往来するため、町ごとに一定の停まる場所(駅)が必要になり、その場所(駅)が「ポスト」(Post)と呼ばれるようになりました。
この「ポスト」という言葉は、ラテン語のポネーレ(置く)からきた言葉です。
乗合馬車のポストに選ばれたのは、町の中心近くの街道沿いで、なるべく大きな旅籠屋でした。
ポストになった旅籠屋は現代の駅のように、案内所、荷物取扱所、待合室、飲食店、宿泊などを兼ね備えていました。
しかし、通信が未発達で印刷物が高価だった中世、長距乗合馬車の運行スケジュールはポスト旅籠屋が管理しており、遠くへ旅をしようと思った人は、先ずポスト旅籠屋でいつどこ行きの乗合馬車が来るのかを教えてもらっていました。

また乗合馬車は荷物も扱っていましたが、送り主は馬車が来るまで待っていなくても、ポスト旅籠屋に頼んでおけば、馬車に荷物を載せてくれました。 
逆に到着した荷物も、受け取り主が取りに来るまでポスト旅籠屋が預かってくれました。
なぜなら、昔は道路事情が大変悪かったため、乗合馬車が半日やそこら遅れるのはあたりまえだったので、旅人はポスト旅籠屋で飲んだり食べたり休んだりして、乗合馬車が来るのを待っていました。

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乗合馬車が停まる町によっては、ポスト旅籠屋以外にも旅籠屋が何軒もあった町がありました。
そのため、乗合馬車が到着する度に客引きが押し寄せていたようですが、やはりポスト旅籠屋が便利なので一番人気がありました。
このポスト旅籠屋、客引きの有利さもさることながら、ポスト旅籠屋に選ばれるということは「この町一番の旅籠屋」という由緒を誇っていました。
なんだか日本の時代劇に出てくる、宿場町にある本陣・脇本陣であること誇りにしていたのと似てますね。
そのためヨーロッパでは、昔ポスト旅籠屋だったホテルは、今でも多くがポスト・ホテルという屋号を使っています。
今残っている多くのポスト・ホテルは、近代的なホテルではありませんが、建物の内部の造りは古く由緒をしのばせるものがあり、ランチやティータイムで休憩したり、宿泊したりするのにも適しています。

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◎下記は関連ブログです。

ヨーロッパ周遊レンタカーの旅30日間・ホーチミン経由(2014年6月9日・月)
*<4日目①>ニュルンベルクのカイザーブルク.レーゲンスブルク旧市街とヒストーリッシュヴルストキュッヘ
*<4日目①番外編1>トゥルン・ウント・タクシス家と郵便事業(2015年2月12日・木)
*<4日目①番外編3>ヨーロッパの郵便ポストとポストバス(2015年2月12日・木)



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